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2011年7月

2011年7月31日 (日)

日本共産党相模原市議団で放射線量を測定

 日本共産党相模原市議団は、このほど、独自に放射線測定機器(ガイガーカウンター・ロシア製)を購入し、7月27日(水)午前中に、市内6箇所で測定しました。P7270329
 測定方法は、地上約5センチメートルのところで12回測定し、最大値と最小値を除いた10回分の平均値をとりました。

 南区は下記の2箇所で、測定結果はいずれも国の基準値(0.19マイクロシーベルト/h)を下回りました。先頃の台風の影響による風雨により、値が低めに出たのかもしれません。

 ①東大沼1丁目 「木もれびの森」内の慰霊塔付近 0.05マイクロシーベルト/h
 ②旭町 「旭森公園」                                         0.06マイクロシーベルト/h

 今後も、購入した測定機器も有効に活用しながら、国・県・市にたいして、市民の安全・安心のために必要な対応を求めてまいります。

2011年7月18日 (月)

長野県飯田市・太陽光発電普及事業など自然エネルギー利用促進の環境政策を行政視察

 7月11日(月)、7月12日(火)と日本共産党市議団で長野県飯田市・太陽光発電普及事業など環境政策を学ぶ行政視察をおこないました。

 飯田市にむかう電車の車窓から、たくさんの太陽光発電パネルを見ることができました。


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  7月11日(月)午後2時から、飯田市役所で、地球温暖化対策課と「おひさま進歩エネルギー(株)」の方から説明を受けました。

 飯田市の太陽光発電普及政策は、(A)地域に「分散型」の独立電源をできるだけ多く確保する (B)「集約型」の独立電源を確保する の2本立てで進められています。また、木質バイオなど他の自然エネルギー利用も推進しています。

【1】市民出資ファンド(第一号)を立ち上げ、
   太陽光発電パネルを一気に市内38箇所に設置

○「太陽光発電事業」と「省エネ事業」に投資するファンドとして、
 「南信州おひさまファンド」への出資を募集(2005年3月~5月)。
○のべ476名(全国)から満額の2億150万円の出資があった。
○システム設置費の3分の2を環境省が飯田市を通じて補助
○出資者への第一回の配当を2007年6月、計画通り実施。476名の出資者に合計2333万円を分配した。

(1)太陽光発電事業
○保育園、幼稚園、児童クラブ、公民館などの公的施設38箇所に太陽光発電パネルを設置。発電容量合計208kw(畳1000枚分)を設置して発電事業を開始。
○飯田市との売買電契約は、行政が前例にとらわれない決断をし、20年の長期契約で、22円/kwhの買取契約とされた。
○2006年度の実績は、予想量22,8万kwhに対し、24万2289kwhと106%を達成。

(2)省エネルギー事業
○公共、民間施設に対して省エネルギー診断にもとづく最適な機器の設置を行い、建物全体のエネルギー消費とコストの削減のサービスを提供する事業を実施。
○10年程度の長期契約を顧客との間で結び、契約期間中にわたりサービス料金を得ることにより、設備の導入にかかった初期資金を回収する。
○環境省から補助金が営業者に交付される。
○「太陽光発電を支える収益源」と位置づけられた。

【2】市民出資ファンド(第二号)を立ち上げ、グリーン熱供給事業
  (木質バイオマスを活用したストーブ、太陽熱温水器など自然エネルギー利用  設備を導入する事業)を展開

○「温暖化防止おひさまファンド」として、2008年11月~2008年12月に出資を募り、653名から4億3430万円の出資を得た。地域の自治組織「まちづくり委員会」や、金融機関からの出資や融資を得た。
○メンテナンスと付加サービスを組み合わせたリースの形態で顧客に提供し、10年や15年の長期契約により、固定サービス料金を徴収することで、営業者が投入した資金を回収する。
○導入実績は、太陽熱温水システム1件、ペレットストーブ11件、チップボイラー1件となった。

【3】「おひさまゼロ円システム」(家庭に初期投資の負担がない)という
  太陽光発電を普及するシステムを確立し、2010年1月から募集を開始
 
①「おひさま進歩エネルギー(株)」が個人住宅に0円で太陽光発電パネルを設置。
②ユーザーは料金を月々19,800円を9年間負担する。
③太陽光発電パネルが発電した電気のうち、自宅で使わず余った電力を、中部電力に48円/kwhで売電
④10年目に太陽光発電パネルがユーザーに無償で譲渡される
⑤飯田市の財政支援と飯田信用金庫の金融支援
 初期費用の約200万円のうち、市が30万円を補助し、残り170万円を飯田信金が低金利で「おひさま進歩エネルギー(株)」に融資をする

  ※設備導入後のユーザーの収支は
  「定額負担19,800円+夜間等の電力使用料」(ユーザーの支出)と
  売電収入との差額(ユーザーの実質負担、持ち出し)は平均で6,000円/月。
  
【4】「メガソーラーいいだ」(太陽光発電所・飯田市川路城山)が
  2011年1月28日から営業運転開始

 7月12日(火)午前、現地を訪れ、見学しました。

○飯田市と中部電力(株)との共同事業による施設で、市内の変電所に接続し、市内住宅地で電力を利用する。
○発電所出力 1,000kW(1MW)
○想定年間発電量 100万kWh(一般家庭300世帯分の年間使用電力に相当)
○開発敷地面積 約18,000㎡
○パネル枚数 4,704枚


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【5】21世紀環境共生型モデル住宅整備事業

 エコハウス(飯田市の中心市街地・『リンゴ並木』にある)を7月12日(火)午前、現地を訪れ、見学しました。
 南信州材をふんだんに活用し、夏の暑さや寒さ、昼夜の寒暖や風越山から吹き下ろす風など、飯田下伊那地域特有の自然を上手に取り込み、エネルギーとして生かされたのがエコハウス(環境共生型住宅)。

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[ペレットストーブが置いてある]

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[外は30度を超えているのに、エコハウスの中はこの温度]

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[太陽光発電の状況を表示]

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[飯田駅前の観光案内所では無料で電動自転車(もちろん太陽光発電で充電!?)をレンタル。私も借りて乗ってみました。]

 飯田市は日射量が豊富な地域とのことです。太陽光発電パネルを設置した住宅の近くに高層ビルが建ってしまって発電ができなくなる、という問題は起きていないか、と尋ねたところ、「高層ビルを建てる前に、まだ空いている土地があるでしょ、という感じです」と笑って答えてくれました。

 そして、ファンドを設立して事業を進めるというユニークな手法で成功した理由を飯田市の職員の方に尋ねたところ、「コミュニティ性の高い資本、ソーシャルキャピタルがあった。顔が見えている地域、ということでしょうか」と答えてくれました。

 相模原市の条件にふさわしいかたちで、自然エネルギーの利用をどう促進していくか、考えていきたいと思いました。


2011年7月17日 (日)

被災地支援に行ってきました

 6月議会が6月30日に終わり、7月4日(月)から7月6日(水)まで、日本共産党の東日本大震災救援ボランティアとして、同僚の大田浩議員、26歳の青年TKさん、70歳のTZさんと男性4人のグループで被災地・宮城県石巻市に行ってきました。
 朝7時に橋本駅南口で待ち合わせし、TZさんの乗用車で宮城県石巻市に向かい、午後3時過ぎに日本共産党宮城県東部地区救援センターに到着。

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 日本共産党神奈川県委員会の現地責任者・福井さんの案内で、津波の被害がひどかった地域を車でぐるっと回り、被害状況について説明を受けました。津波の被害を受けた地域と受けなかった地域との格差の大きさにがく然としました。

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[1階部分がくりぬかれた建物]

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[車が積んである]

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 宿泊所は、日本共産党神奈川県委員会が借り上げた登米市の民家で、救援センターから1時間余りのところです。

  翌朝7時15分に宿泊所を出て、8時30分に救援センターに集合。この日は泥出し作業隊に配置され、いったん、労働組合などでつくる「災対連共同支援センター」に向かい、そこから作業する場所へと向かいました。


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 フォークリフトがたくさん置いてある駐車場のようなところの泥をかき出す作業でした。午前中は雨のなかの作業でした。作業していると、泥の中に腐った魚が混じっていて、それに触れるとパクッと腹が開いて、たくさんのウジ虫がうごめいている、そんなこともありました。昼前になると、雨があがり日が差して、暑さのなかでの作業となりました。

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 昼食休憩となりましたが、食べる場所がなく、日陰を探して近くの工場(もちろん稼働していない)の前の路上で立ったり座ったりしながら、朝コンビニで買っていったおにぎりを食べたのですが、大量のハエが飛び交うなかでの食事となりました。

  食事が終わって、周囲をブラブラしていると、若い男性が一人、座って休んでいました。瓦礫の撤去作業をやっていて、やはり昼休みをとっているようでした。その人がいる場所の近くで、津波でやられた民家を私が写真を撮っていると、「めずらしいですか?」と声をかけられたので、「地元の方ですか?神奈川の相模原から来たのですが、写真を撮っていたことがお気に障ったら申し訳ありません」と応えると「別にそんなことはないですよ。ただ珍しいのかな~とおもっただけです」と会話になりました。

 泥出しの作業をしていて、腐った魚を手でつかんでしまって、腹が開いてウジ虫がたくさんうごめいているのを見てしまったことを話すと、「腐っているからな。でも魚ならまだいい。自分たちは人間を見てきた。髪の毛がない状態になっていて男も女もわからなくなっている遺体が海に浮かんでいるのを見つけて、適当な場所に運んで海上保安庁に連絡した。女性だったと知らされた」とのこと。その人は漁師で、いまは漁を禁止されている(船を出してもとった魚をさばけない)ので、体を遊ばせているのはいやで、何かをやって役に立ちたいと思って、土木作業をやっている、と話してくれました。

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[建物に津波の跡が…]

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  午後の作業を終えて、宿に帰り着替えをして、臭いのついた作業着をみんなで洗濯機に突っ込んで、道の駅にある温泉に入りに行きました。

 三日目は、ある地域を2人1組訪問して「何か困ったことや要望したいことはありませんか」と尋ねて回る活動を担当しました。
 その地域は、1日に2回浸水することでテレビのニュース番組等で何回も取り上げられたところで、やっと浸水を防ぐ工事(ポンプで水を太平洋に送る?)が完了したばかりでした。浸水がやまない限り、家の中の片付けや泥出しなどを保留していたという住民もいるのではないか、ということで計画された訪問活動でした。日本共産党で取り組んでいる「原発からの撤退を求める署名」への協力もお願いしました。

 72歳のひとり暮らしの女性を訪問したときは、玄関から家の中の一つの部屋の畳が撤去されている状況が垣間見えました。「こんどはフローリングにする。工事を待っているが、なかなか順番が回ってこないようだ」と話してくれました。買い物や病院に行くのに、交通が不便で、自転車で行くしかないが、この前、転んでしまった。シャトルバスでも走らせてくれれば良いのに、とのこと。別れ際に、呼び止めるようなかたちで「だれも来てくれなくて心細かった!」と叫ぶように声をかけてくれました。

 別のお宅では、30歳~40歳代と思われる男性が、「自分のところはまだマシな方だと思うので、もっと大変な人を助けてあげてほしい」と言いながら、「先が見えないことが一番つらい」と話してくれました。

 別のお宅では、泥を詰めた土嚢を家の前の道路上に並べていましたが、「ご要望はありませんか」と尋ねると、「また大きな地震があるかもしれないから、家の中は、片付けをまだ何もやっていない」とのことでした。

 別のお宅では、「屋根にブルーシートをかけてほしい。以前、専修大学のボランティアの人に頼んだが、『危険な作業なのでできない』と言われてしまった」とのことでした。

 別のお宅では、60歳代と思われる雄弁な男性と少し長い話になりました。ご夫人が冷たい麦茶を出してくれました。その男性は、「いま堤防の意味で土嚢が積んであるが、秋の高潮で超えてこないか心配だ。台風シーズンになったらもつかどうか不安」と語った後、ご自分のことを話してくれました。
 この家は娘さんの家で、世話になっている。この家は浸水のことで『報道ステーション』や『特ダネ』などで報道された。自分の家は津波が直撃した地域にあって、跡形もなくなってしまった。自分は遊覧船の運転士兼観光ガイドで、話のおもしろさで全国大会で2回も優勝した。仕事を失ったことが一番痛い。年はとったが、もう一度仕事がしたい。まだまだできる。とのことでした。

 別のお宅では、「側溝の底あげをしてほしい。ハエがひどくて困っている。市に言っているがなかなかやってくれない」とのことでした。この地域の共通要求のようでした。

 昼前に訪問を終えて、救援センターに戻り、ききとった要望や声を伝えるなど報告をし、被災地の復興には長い時間がかかること、息の長い支援に取り組んでいくことの重要性を感じながら、帰路につきました。

 
 

   








 

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