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2011年3月17日 (木)

東日本大震災の被災地に思いをはせて(3)盛岡市 高橋和夫 市議

東日本大震災の被災地に思いをはせて、被災地とその近隣地の日本共産党地方議員が作成しているホームページやブログにアクセスしてみました。盛岡市 高橋和夫 市議のホームページから転載します。

2011/03/17

3月16日(水) 午後の部つづき

 IGR銀河鉄道は、16日午後から盛岡~沼宮内間の運行を開始した。車のガソリンもなくなってきて「どうしよう?」と思っていた時だけに、とてもありがたい。利用者は口々に同じ思いを語っていた。 上り線は渋民~滝沢間、下り線は滝沢~渋民間が徐行運転で、上りは15分遅れた。 前日15日夕方、地域のSさんから「被災地が大変なようだ。県に行って募金と物資を届けてきた。現地にボランティアとして支援に入りたい。現地ではまだ食料など物資が届いていないところもあるようだ。通行許可書と往復の災害派遣燃料購入許可がほしい」というもの。 盛岡駅に着いたら、なんとなく暗い。道路照明とかネオンサインが消えている。バスもあまり走っていない。やむを得ず徒歩で県庁へ。 途中、盛岡地方裁判所の天然記念物「石割櫻」の側の水銀灯だけが点いていた。 県庁前の駐車場は、自衛隊の災害救援車などでいっぱいだった。 県庁ロビーは、被災者の氏名確認する人で混雑していた。一階ロビーに「救援ボランティアは募集しておりません」の張り紙。 市役所災害対策本部へ。 ボランティアの受付は市でもやっていない。 受け入れ側の社会福祉協議会や役所が機能していないため、当面は受け付けられないとのこと。 義援金は市役所会計課。 支援物資は市民税課。 ボランティア受付は障害福祉課又は市社会福祉協議会(現在受け付けていない)。 市役所のロビーですべて受け付けて、受け付けたものを内部で仕分けできないのだろうか? いかにも役所という感じがする。 村の時代は、職員の方が動いてくれたものだが、時代が変わったのか、住みにくい世の中になったものである。 だから、老人反抗期の私ががんばらねば! それにしても、県庁周辺には県外の医師らしい複数の人や救急車が来ており、自衛隊の災害救援部隊も多数来ていた。 この人たちは何で災害もない県庁にいるの? 現地に出向いて災害救助に当たるべきではないの? 不思議でならない。 それとも災害地に行くガソリンがないのだろうか? いずれ対応が悪い!。 衛生社の社長から頼まれた汲み取り用の軽油の要望は、ゴミ収集など「社会的に重要なものと位置づけ、市から県を通じて国に要望した」 との回答があった。   

2011/03/16

3月16日(水)

           IGR銀河鉄道 盛岡~沼宮内間 運転再開! 

 東日本大震災で運休していたIGR銀河鉄道は、本日16日 昼ごろから運転を再開するということです。 車両の関係で全部運転ではなく、とりあえず盛岡~沼宮内間の折り返し運転のようです。 JR花輪線は、20日ごろ運転再開予定ということです。詳しくは好摩駅に確認ください。

            「好摩駅東西自由通路開通式」 中

 4月17日(日)予定の「好摩駅東西自由通路開通式(渡り初め)」は、盛岡市議会議員選挙の公示日に当たるなど、諸般の事情により中止することになりました。詳細は後日報告します。

2011/03/15

3月15日(火)

 遅くなりましたが「東日本大震災」で犠牲になられた方々に心からお悔やみを申し上げます。 また、被災されました皆様に心よりのお見舞いを申し上げます。 私自身、安否確認や連絡などで、何が何だか分からなくなって、ただただ時間だけが過ぎてしまったように思います。 今回の地震のすごさは、名称が「東日本大震災」に決まるまで、東北地方太平洋沖地震とか、東北関東地震とか様々ありました。 それだけ人心が動転した激甚災害でした。  一方、この地震に関連した大きな問題は、福島原発の爆発です。すでに死亡者や負傷者が出ており、被曝された方も多数おられるようです。 何か情報が小出しにされているようで、真実がよくわかりません。 原発についてちょっと調べてみましたが、1987年(昭和62年)の日本共産党第18回党大会で原子力発電の危険性を明記しました。 そして翌年、論文「原発の危険に反対する運動の前進のために」を発表しています。1999年(平成11年)不破哲三共産党委員長(当時)が衆院本会議で「原子力行政の根本的転換を」と題して国民の安全に責任を負う三っの提案をしております。私の記憶が正しければ、① 原子力発電は安全性が確立されていないこと。 ② 地震国の日本には適さないことを主張して、原発をやめるように主張したと思っております。 不破哲三さんは、東大の物理を卒業していたと記憶しています。 私も高校時代、東海大学の原子力関係の学部に進学しようと思っていましたから、興味を持って聞いた記憶があります。 不破さんの心配そして共産党が党の方針として転換を求めてきましたが、その心配が現実のものになってしまいました。誠に残念です。 資源の少ない日本のエネルギー自給率はわずか4%にすぎません。 そうした中で、私たち日本人は、個々の努力も含めてエネルギー問題を考え直す必要があります。日本の条件にあった再生可能エネルギー(自然エネルギー ⇒ 風力、太陽光と熱、地熱、小水力、波力、家畜・林業などのバイオマスエネルギーなど)の事業化などで、雇用の創出や内需拡大にもつながります。 理想論と言われるかもしれませんが、一部輸入業者だけが利益を得るのではなく、国民みんなの安全と幸福につながる政治が必要です。特に若い人たちの行動に期待しています。 なぜなら将来は皆さんのものだからです。わたくしたち年配者は、努力はしましたが、国や大企業の宣伝に惑わされ、うまく利用されてきたように思います。 若い人にいい社会を作って引き継ぎするのが先輩としての役割ですが、申し訳ないことです。 原因は、自分の頭で考えないところに原因があったと思います。 若い人は自分のためにも賢い人間になってほしいと思います。 私もまだまだ頑張ります。 「老人反抗期、何クソ、人生これからだ~」

3月14日(月)

 朝6時、仙台のKさんから無事を伝える電話あり。自宅の1キロ手前まで津波が来たという。 無事で何よりである。 税金の申告をする。今年最高の混雑とか聞いた。 午後、共産党地区事務所で打ち合わせ。 議会予定は1週間休会とし、日程変更になった。 昨13日午後、電気が通電になってから、電話が通じないという苦情の連絡が多い。 NTTに連絡しても、「ただいま込み合っております。後ほどおかけ直しください。」の音声だけで、何度かけても連絡がつかない。 大方の作業員が災害地に行っていると思うのだが、担当者が電話にも出ず音声だけ流すのはいかがなものか。救急車も呼べないではないか!。 NTTは、できなければできないなりの事情を説明すべきである。 トイレの汲み取りの苦情も数件あった。 トイレの汲み取りをお願いしたくても電話が通じない!。 頼みに行こうにも衛生社の場所が分からない。 行こうとしてもガソリンが無い!という状況である。 どういうわけか今日は救急車の出動が多いようだ。

3月13日(日)

 赤旗日曜版配達。 動物公園開園式(欠席)。 24分団・26分団共催の「小型動力ポンプ積載車披露」中止。雑用しながら自宅待機。 午後2時、電気通電。 午後 8 時、携帯電話使用可能に。 電話もテレビも電気もない生活は大変だった。 被災者の方々を思えば贅沢である。

3月12日(土)

 昨夜は洋服を着たまま仮眠。 万一に備えて待機。 朝6時、県立中央病院から家内(民生委員)に電話あり。 担当している一人暮らしの N さんが、裸足で4号線を北上しているところを救急車に保護され、中央病院に搬送されたとのこと。民生委員が病院に来るようにとのこと。 市役所玉山総合事務所に寄り、担当者の車で中央病院へ。 私は戻って自宅待機。 10時から卷堀中学校卒業式。 学校側は安全を考え短時間で終了予定だったようだが、父兄の希望で正規の卒業式を行う。 式の途中で3回ほど余震があった。 校長式辞は「自立と協生」。社会人としての心構えをお話しされた。 自治会員の T さんから炊き出しの提案あり。 ありがたい話である。 早速お願いをして作っていただいた。 高齢者や一人暮らしなど心配なところに「 T さん提供」 と、配達。 初めてのことであり、大変喜ばれた。「お礼は T さんへ」と伝える。 家内の帰宅は午後6時を過ぎた。 N さんを福祉施設に仮入所。一安心。 家内は朝飯も食わずに出かけたが、昼飯はどうしたのか。 ゲッソリお痩せになりました。 民生委員の仕事も大変な仕事である。

3月11日(金)

 10時から「総務常任委員会」。控室で審議の様子を聞く。 午後、クリーンセンターで地震を感知。 プールで泳いでいた人たちが、職員の誘導で、水着で裸足のまま、外へ避難。 「寒い」なんて言っていられないほどみんな驚いていた。 帰宅して自宅待機。 家内は民生委員として一人暮らしや高齢者の家庭訪問と安否確認。 家内帰宅後、私が障害者など心配な人を訪問、激励。 芯式ストーブの手配や懐中電灯、携帯ラジオの貸し出しなどを行う。 自治会役員会、選対会議中止。 

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