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2011年3月17日 (木)

東日本大震災の被災地に思いをはせて(2)盛岡市 庄子春治 市議

東日本大震災の被災地に思いをはせて、被災地とその近隣地の日本共産党地方議員が作成しているホームページやブログにアクセスしてみました。盛岡市 庄子春治 市議のホームページから転載します。

2011年3月16日 (水)

みんな被災者だ②

 昨晩向田氏の長男の遺体が戻ってきた。身長185㎝。長身の、そして眉の濃い、堀の深い美男の顔が、ゆがんでいた。どんなにか苦しかったことか。会社から勤続表彰を受け、中堅幹部として活躍しているさなか、どんなに無念だったかと思うと、あふれる涙をこらえることができなかった。

 少し、被災の時の様子が分かってきたという。地震が発生して、「逃げろ!」と声がかかった。同僚は、山の方へ向かったが、彼は反対の方へ向かってしまったというのだ。口をあけた怪物の、その口の中に自ら飛び込んでしまった。地理の不案内が、そのようにさせたのか。同僚は助かったということだから、なんとも無念でならない。

 葬儀等の相談をしている中で、「盛岡では18日まで火葬場が満員。その後は燃料がなく受け入れられない」と言う。となりの紫波町の火葬場では、被災者への対応として、通常の受付時間外で、午前8時と、午後4時に特別枠を設けて火葬してくれるという。

 その場から、被災者支援の観点から、盛岡市がこういう場合に支援する(委託もしくは援助)ことが緊急にできないかと、災害対策本部に電話で提案して検討を求めた。

 燃料不足は、火葬場だけではない。ゴミの収集もストップする。桜山参道界隈の商店街では、燃料がない、仕入れもできない、客も来ない存亡の危機だという。介護施設でも、燃料がなくサービスをストップしているところもある。市民生活も逼迫に向かっている。

 みんな被災者だ。この事態を受け、14日の議運で検討したの議会運営日程の変更については、さらに見直しが必要ではないかと、議運委員長に提案した。
 とにかく、非常事態への対応が必要だ。

 共産党関係では、心配されていた沿岸地方の党機関や議員の消息も確認しつつある。壊滅的な打撃を受けながら、必死の救援活動を続けている。
 救援募金運動を呼びかけて、取り組みを始めた。

2011年3月15日 (火)

みんな被災者だ

 恐れていたことがやってきた。連絡不通になっっていた、我が自主防災隊(見前ニュータウン自主防災隊)の向田副隊長のご子息の遺体が見つかったというのだ。宮古市におかれた安置所にこれから迎えに行くという。「この災害だから仕方がない」と言うものの、「37歳の人生に幕を引いた。順序が違う」という言葉に、父親の無念の気持ちが伝わってくる。

 テレビでは、市民が撮った、津波が襲ってくる映像が流れている。恐ろしさがよりリアルに伝わってくる。沿岸地方の惨状は、息をのむ思いだ。一刻も早く、ひとりでも多くの人命救助を!と願うのみだ。そして、被災者への救援の手が差し伸べられなければならない。

 盛岡市内の被害は比較的軽微だと思っていた。確かに現在ライフラインも復旧した。市内における被害も、沿岸地方のそれと比較すれば、さほどではなかった。2日間の停電も、断水も、許容範囲であろう。

 しかし、被害はそれだけではない。息子が、兄弟が、親戚が、恋人が、友人が、同僚が・・・・被害にあっているのだ。そして安否を心配し心を痛めているのだ。関係のない人はほとんどいないだろう。その意味ではみんな被災者だ。

ここをどう乗り越えるか・・
 そのために、行政が、議会が、市民が、何をなすべきか・・・・鋭く問われている。

 盛岡市は、他自治体の被災者の受け入れ体制をとり、500人の受け入れが可能だと発表したという。それは、決して「他の人を援助する」ということではない。まさに、我々盛岡市民そのものの問題だということではなかろうか。可能な限りの対応をしてもらいたい。

 議会も全面的に応援する体制をとらなければならない。

2011年3月14日 (月)

震災対応で、議会の日程も変更

 3月14日、午前9時から、市議会運営委員会が召集されました。東日本大地震の災害対応のため、議会日程を変更することが議題でした。
 3月11日に起きた東日本大地震で盛岡市では、建物の倒壊などの被害は少なかったものの、断水が一時3万世帯、停電が11日震災直後から、13日まで続いたことなどから、64施設に4,496人が避難したほか、沿岸被災地への支援、水道支援のための日本水道協会の基地としての役割を果たすなど、市の災害対策本部も不眠不休で活動してきました。
(写真下:市の災害対策本部・14日午前11時半ころ)
 ライフラインの復旧にしたがって、避難所も閉鎖しつつありますが14日朝8時現在で、20か所に576人が避難しているということです。

P10501541
 災害救助法に基づく県知事からの命令として、市に対して、①収容施設の供与 ②炊き出しその他による食品の給与及び飲料水の供給 ③被服、寝具その他生活必需品の給与または貸与・・・・その他の対応が求められています。市役所の玄関には、沿岸地方に送る物資が積まれていました。 
(写真下)

P10501521  さらに、被災地からの避難者の受け入れも始まっており、最大数千人規模になることも想定されるということです。
 未曾有の災害に対応して、市議会の運営については、今週予定されていた、常任委員会審査、本会議、予算委員会の日程をすべて休会とし、23日に本会議と予算委員会、24日に予算委員会、25日に各常任委員会を開催することにしました。
 この事態と議会運営について、18日午後から市議会全員協議会で議員全体のものにすることも確認しました。

2011年3月13日 (日)

すさまじい地震・津波の大惨事に言葉を失う

 どのような言葉で書きはじめたらよいのか・・・・見つからない。
 地震直後「これはただ事ではない!」と直感したが、まさかここまでとは。地震直後からの停電が今日(13日)昼頃に回復した。そして見たテレビの映像に絶句した。

 3月11日午後2時46分、その時は突然やってきた。市議会総務常任委員会が終わって、事務所に戻った。間もなく携帯にメールが入ったのだ。「緊急地震速報」だった。メールを読み終わるが早いか揺れだした。古い木造の事務所が倒れるのではないかと思わせるような激しい揺れだった。柱に捕まって耐えた。かつて経験した事のない長い、長い揺れだった。幸い建物にも被害もなく、おさまって外に出たら、近くの人もみんな出ていた。

 直ぐ目の前にあるスーパー(カーラたもり)では、落ちて割れたお酒で店内にアルコールのにおいが漂っていた。見前小学校、見前中学校を見て回ったが、児童・生徒は校庭に避難。大事はなさそうだ。子どもの家も、まだ児童が来る前であり、建物にも大きな損傷はなさそうだった。

P10501461
 総合支所に行ったが、まだ情報は分からない。
 南消防署には、さすが、21分団団長が詰めて各部に出動の指令を出していた。

 地元に戻って、自主防災隊の活動に参加した。すでに「要援護者」の一人暮らしの高齢者の安否確認が進んでいた。停電の暗くて不安な夜。そして停電で暖房が使えないという人もある中、集会所を避難場所にして、反射式石油ストーブを集め、食糧を調達し1人暮らしの方などに呼びかけていた。
 知らない人もいるのではないかと、ハンドマイクで団地内を広報して廻った。「怖くて、見前小学校に避難したら開いていなかった。見前中学校に行っても同じだった。諦めて帰ってきたら、広報が聞こえたので来ました」という方なども加わって10人が避難所で朝をむ迎えた。
 この避難場所は停電が続いた12日の夜も開設し、2夜続いた。

 12日には盛岡でも断水があったことから、給水場所を視察し、上下水道局に確認した。「このまま停電が続けば、さらに断水が世帯が増える」ということだったが、12日の午後から徐々に市内の電気も回復して、最悪の事態は免れた。

P10501481

 それにしても・・・マグニチュード8・8 いや 9・0の地震のエネルギーはすさまじく恐ろしい。仙台にいる息子は、11日16時過ぎに「被災した。帰れない」とのメールをよこしたまま。心配していたが、今朝になって「無事生還した」とメールが入ってほっとした。

 しかし、我が自主防災隊向田副隊長のご子息が、2日間連絡が取れないという。11日朝5時に仕事に向かった先が、山田町だというではないか。安否が気遣われる。

 菅原県委員長によれば、陸前高田市、大船渡市、釜石市、野田村の各議員などともまだ連絡が取れないという。なんとか無事でいてもらいたいと願うのみだ。

 

 

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